混雑への手当てをつい後回しにし続けた末に大切な常連の客を静かに失ってしまった苦い後悔の告白

最終更新日

繁盛の手応えに酔い混雑への手当てをひたすら先送りにした始まり

店を開いてしばらくは、卓が埋まり列が伸びていく光景こそ繁盛の何よりの証しだと信じ込んでおり、混み合いをわざわざ手当てするなどという発想は、正直なところ頭の片隅にすら浮かんでこなかったというのが、当時の偽らざる心持ちでありました。

待たされてでも足を運んでくれる客がいるのだから、店の側から待ち時間を縮める工夫を凝らす必要などないのだという慢心が、いつのまにか胸の奥へ深く根を張ってしまい、混み合いへの備えを先延ばしにする言い訳を、次から次へと自分に与えていたのです。

目の前の忙しさをさばくだけで一日が過ぎていく日々のなかで、動線を見直すだとか注文の受け方を変えるだとかいう腰の据わった取り組みは、いつも来月へ、来季へと押しやられ、気づけば手つかずのまま季節がいくつも移ろっていってしまいました。

当時の私は、混み合いを店の勢いの表れとしか捉えておらず、その裏側で待ちくたびれた客の心が少しずつ冷えていっているという、目には映らない静かな綻びに、まるで思いが至っていなかったのだと、今になって痛切に振り返るばかりであります。

手当てを後回しにするたびに、まだ大丈夫だ、まだ客は来てくれていると自分へ言い聞かせておりましたが、その言葉こそが、忍び寄る危うさから目をそらすための都合のよい呪文にすぎなかったのだと、気づいたときにはもう遅すぎたのでした。

この節では、繁盛という手応えに酔い、混み合いへの手当てをひたすら先送りにし続けた私自身の油断が、どのようにして始まり、どこから道を誤らせていったのかを、恥を忍んで正直に書き起こしておきたいと思っております。

同じように今まさに列の伸びを喜んでいる店主の方にこそ、どうか私の踏んだ轍を知っていただきたく、繁盛の陰にひそむ落とし穴の入り口が、いかに心地よく穏やかな顔をしているものかを、まずはこの始まりの一節からお伝えしてまいります。

伸びる行列を放置するうち常連が黙って去っていった空席の重さ

変化は、けたたましい物音を立ててやってきたのではなく、いつもの混み合う帯に見慣れた顔がひとつ、またひとつと欠けていくという、あまりにも静かで気づきにくい形で、じわりじわりと店へ忍び寄ってきたのでありました。

毎週きまって同じ席に腰を下ろしてくれていた客が、ある時期からふつりと姿を見せなくなり、それでも私は、たまたま忙しいのだろう、そのうちまた来るだろうと軽く受け流し、その欠落の意味を深く問い直そうとはしなかったのです。

後になって人づてに耳へ入ってきたのは、その客が、来るたびに長く待たされることに少しずつ疲れ、何も言わずに足を遠ざけてしまっていたという事実であり、去り際に一言の不満すら残さなかったことが、かえって私の胸を深くえぐりました。

混み合いを放置するということは、声高に文句を言う客を怒らせることよりも、むしろ、黙って背を向けていく客を静かに増やしていくことなのだと、去っていった常連の空席を眺めながら、私はようやく骨身にしみて思い知らされたのであります。

待たされることへの不満は、その場で口にされないまま客の胸の内に静かに積もっていき、ある日、これ以上はもう通うまいという静かな決心へと変わって、二度と戻らない別れとして立ちあらわれるものなのだと、遅まきながら悟りました。

一人が去り、その連れが去り、やがてその輪でつながっていた幾人もの顔がまとめて店から消えていったとき、混み合いをさばききれなかった私のつけが、これほど大きな空席となって返ってくるのかと、背筋の凍る思いで立ち尽くしました。

あのとき、伸びていく列をただ繁盛の証しとして眺めるのではなく、その列の後ろで揺らいでいた常連の心へ目を向けてさえいれば、と悔やまずにはいられませんが、その悔いこそが、後の私を動かす確かな糧となっていったのも、また事実であります。

待ち時間を嘆く控えめな声を取るに足らぬ小言と軽んじた後悔

客足の綻びと前後して、店に寄せられる感想のなかに、待ち時間の長さを控えめに嘆く声がぽつりぽつりと混じるようになっていたことに、私は薄々気づいていながら、あえて見ないふりを続けてしまっていたのでありました。

混み合う店なのだから待つのは当たり前だ、それが嫌なら空いた時間に来ればよいのだと、心のどこかで客の不満を突き放しており、その声を店を良くするための貴重な手がかりとしてすくい上げる発想を、まるで持ち合わせていなかったのです。

一つひとつは短く、とげとげしくもない、むしろ遠慮がちなその声を、取るに足らない小言として脇へ押しやっているうちに、同じ嘆きがいくつも積み重なり、やがて店の評判そのものへ、じわじわと影を落とし始めていったのでありました。

控えめな不満ほど、実は店を思って口にしてくれている大切な合図なのだということに、当時の私はまるで気づかず、その静かな警告を握りつぶすようにして、混み合いへの手当てをまたしても後回しにしてしまっていたのです。

不満の声を軽んじるということは、その声の向こうにいる、まだ店を見限らずにいてくれる客の善意を踏みにじることにほかならず、そうと知らぬまま、私は自ら味方を遠ざける振る舞いを重ねていたのだと、後にようやく思い至りました。

寄せられた感想を一つずつ丁寧に書き留め、待ち時間に触れた声がどれほどの数にのぼっているのかを冷静に数えてさえいれば、綻びの深さはもっと早くに見えていたはずだと、記録を怠った己の無精を、今でも悔やまずにはいられません。

それでも、後にそれらの声を拾い直し、混み合いこそが客の離れていく最大の理由なのだと正面から認めたことが、ようやく私を重い腰から立ち上がらせてくれたのですから、あの控えめな嘆きは、遅れて届いた恵みでもあったのだと思っております。

客離れの原因を景気や人通りのせいと取り違えて見誤った日々

客足がはっきりと細り始めたとき、私が最初に手を伸ばした説明は、あろうことか、世の中の景気が冷えたからだ、近ごろは人通りそのものが減ったのだという、自分の外側へ責めを預ける都合のよい理屈でありました。

混み合いをさばききれずに客を待たせ続けたという、店の内側にこそひそむ本当の原因から目をそらし、動かしようのない外の事情のせいにしてしまえば、痛みを伴う手当てへ踏み出さずに済むという、ずるい安らぎがそこにはあったのです。

立地が悪くなったわけでも、料理の腕が落ちたわけでもないのに、なぜ客が遠ざかるのかという問いへ、私は都合のよい答えばかりを当てはめ、肝心の待ち時間という急所からは、頑なに視線をそらし続けてしまっておりました。

原因を外へ求めているかぎり、店の側でできることは何もないという諦めしか生まれず、その諦めがさらに手当てを遅らせるという、抜け出しがたい悪い巡りのなかへ、私はずるずると自分から沈み込んでいってしまったのであります。

取り違えの怖さは、間違った原因に手を打とうとして労力を費やしても、肝心の綻びはいっこうにふさがらず、かえって時ばかりが過ぎて傷口が広がっていくという、二重の損失を店へもたらしてしまう点にこそあるのだと思い知りました。

やがて、静かな帯にはなお客が来てくれているのに混み合う帯だけがめっきり寂しくなっているという事実に気づいたとき、これは景気のせいなどではなく、まさしく待ち時間そのものが客を追い払っているのだと、ようやく認めざるを得ませんでした。

外へ預けていた責めを、店の内側へ、そして自分自身の油断へと引き戻して見つめ直したその瞬間から、はじめて私は、混み合いへの手当てという本当に打つべき一手へ、まっすぐ向き直ることができるようになったのでありました、店の内側を省みる勇気こそが立て直しの出発点なのだと、今なら胸を張って言えます。

遅ればせに注文を分散させて失いかけた信頼を縫い直せた光

己の取り違えをようやく認めた私が、遅ればせながら腰を据えて取り組んだのが、注文の受け方を根本から作り替え、一点へ集中していた負荷を前後へ散らしていくという、かつて何度も先送りにしてきた手当てそのものでありました。

そこで背骨として頼ったのが、客の手元の画面から品を選んでもらうモバイルオーダーの仕組みであり、これを据えたことで、これまで一つの窓口へ列をなしていた注文が客それぞれの手のなかへ分かれて散らばり、入り口の滞りがほどけ始めたのです。

注文を告げるための列が消え、着席の前に品が決まっていることで料理も早く卓へ届くようになると、待たされる不満から解き放たれた客の表情に、かつて店を満たしていたはずの、あの穏やかなくつろぎが少しずつ戻ってまいりました。

混雑緩和が形になっていくにつれ、一度は去った顔のいくつかが、風の便りに様子を聞きつけてか、おそるおそるといった風情で再び暖簾をくぐってくれるようになり、その一人ひとりの帰還が、どれほど胸を熱くしてくれたか知れません。

手当てを施した店では、急かされずに味わう食事のひとときが取り戻され、客は落ち着いて料理へ向き合えるようになり、その満ち足りた時間こそが、失いかけていた信頼を一針ずつ縫い直していってくれたのだと感じております。

あれほど後回しにしてきた一手が、いざ踏み出してみればこれほど早く景色を変えてくれるものだったのかと知ったとき、悔いと同時に、まだ間に合ったのだという静かな安堵が、じんわりと胸の底へ広がっていったのでありました。

遠回りをし、多くの大切な客を失った末にたどり着いた手当てではありましたが、その痛みを潜り抜けたからこそ、いまは混み合いを恐れるのではなく、それを店の力で穏やかに解きほぐしていけるのだという、確かな手応えを握れているのです。

まとめ

苦い遠回りを経てはっきりと言えるのは、混み合いへの手当てを後回しにするということが、目に見える損として即座に牙をむくのではなく、黙って去る客という最も痛い形で、後からゆっくりと帳尻を合わせにやってくるということであります。

繁盛の証しだと信じて眺めていた行列の後ろで、常連の心が静かに冷えていたこと、控えめな不満の声こそ店を思う合図だったこと、そして客離れの原因を外へ預けて取り違えていたこと。その一つひとつが、私にとって高い授業料となりました。

けれども、その痛みを正面から引き受け、遅ればせにでも注文を分散させる手当てへ踏み出したことで、去った客の一部は戻り、店は再び穏やかな時間を取り戻せたのですから、後悔は決して行き止まりではなく、立て直しへの入り口でもありました。

いま同じように列の伸びを喜んでいる店主の方へお伝えしたいのは、繁盛しているその瞬間こそが、混み合いへの手当てを始める最良の好機なのだということであり、客が離れてからでは、取り戻すために何倍もの労を払うことになるという現実です。

どうか私のように、まだ大丈夫だという心地よい呪文で先送りを重ねず、列が伸びているいまのうちに、注文の受け方を前後へ散らす一手へ、小さくでよいので踏み出してみてください。早く動いた店ほど、失わずに済むものが多いのは確かであります。

混雑緩和への手当ては、客を待たせない優しさであると同時に、店がこの先も長く愛され続けていくための確かな備えでもあり、その一歩は、過去の悔いを未来の力へと変えていく、前向きな投資にほかならないのだと申し上げられます。

失って初めて気づいた教訓を糧に、私はいま、混み合う帯にも落ち着いた食事の時間を届けられる店づくりへ歩みを進めております。同じ後悔をどなたにも味わってほしくないという願いを込めて、この打ち明け話を締めくくりたいと思います。

Fabrizio